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理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性 (講談社現代新書)

アロウの不可能性定理
『アロウは(略)個人が二つの条件を満たし、社会が四つの条件を満たす「完全民主主義」モデルには、論理的に矛盾が生じることを証明したわけです。』同時に成立しない四条件とは。 

たった数10分で幸せになれる人生のシークレット Ⅰ ~ 苦悩の根源としての承認欲求からの離脱 ~ 【2017/5/1 4版】

たった数10分で幸せになれる人生のシークレット Ⅰ  ~ 苦悩の根源としての承認欲求からの離脱 ~                                                                  【2017/5/1 4版】
  • 櫻井哲雄 (著)
  • 会社情報: (2017-06-03)
  • 商品情報: Kindle版, 36ページ
  • 価格情報: 新品 なし、中古 なし
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『人生のシークレットⅠ ~苦悩の根源としての承認欲求からの離脱~』

同タイトルに大幅な加筆修正をしました。

読んでいただければ、また新たな発見と気づきがあると思います。

皆さんの心の糧にしていただければこれに勝る喜びはありません。

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短時間で手軽に読める人生のハンドブックです。

しかし、中身は、哲学、宗教、スピリチュアル等々のエッセンスです。

日々、キンドルで携帯し、みなさんの心の支えにしていただければ、著者として、うれしいかぎりです。

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【目次】

第1章 苦悩の根源としての承認欲求
    ~ ダークサイドの章 ~

第2部 承認欲求を滅尽し、苦悩から離脱し、平安、自由、幸福を取り戻したここ ろへ
     ~ ストップ&リバースの章 ~

第3部 慈悲喜捨希(じひきしやき)、そして慈悲喜捨希勇(ゆう)の人生へ
     ~ ライトサイドの章 ~

************************************************************以下、サンプルです。
第1章 苦悩の根源としての承認欲求
~ ダークサイドの章 ~


近現代人の苦悩の根源とは何か。

それは、子どものときには無かったものである。もしくは、社会が都市化するまでは、あまり無かったものである。我々が、成長し、学校や会社や何らかの組織のなかで生きるうちに、つまり、人々が密集する人間社会のなかで生きるうちに、後天的に身につけてきたものである。

それは、どこまでも承認されたいという欲求である。

もっと、もっと、認められたい。

もっと、もっと、注目されたい。

もっと、もっと、受け入れられたい。

もっと、もっと、すごいと言われたい。

もっと、もっと、愛されたい。

もっと、もっと、尊重されたい。

もっと、もっと、好きと言われたい。

もっと、もっと、感謝されたい。

これらは、すべて、比較と競争と劣等感にとらわれた近現代人が、自然な自尊心を失った結果、抱くようになった過剰なる承認への欲求である。

これが、近現代人をありとしあらゆる苦悩と悪徳と争いの淵であるダークサイドに落とし込んでいる悪魔的なる情動、心的フォースの正体である。

ルソーは人々をこうした方向に向かわせている近代社会に本能的な危険を感じ取り、

「人は、数多くの人が生きる都会のなかで、本来持ち合わせていなかった情念(過剰な承認欲求)を抱くようになると、生まれながらに持ち合わせていた内面の深いやすらぎや自由、澄み切った晴れ渡る大空のような幸福感を失う。焦りと苦悩と悪徳とに退廃していく。生来の自然なるあなたに還れ。」

と警鐘を鳴らした。

「自然に還れ」とは、なにも「原始生活に還れ」と言ってるのでは無い。

「承認や評価への執着から離れ、心を生来の自然な状態に戻せ。心をリセットせよ。」
と言っているのだ。

人は、都会的な文明社会の競争第一主義のなかで、負けまいとして、頭角を現そうとして、追い立てられ、急き立てられ、恐れ、焦り、がむしゃらに生きるうちに、承認されること、評価されること、認められることに過剰な執着や欲求が生じる。

こうした承認されること、評価されること、認められることへの過剰な執着、欲望は、一定の成長、成果、進化を生み出す一方、以下の心の八毒である「貪(とん)、瞋(じん)、痴(ち)、慢(まん)、疑(ぎ)、悲怖(ひふ)、逃(とう)、偽善」(※1)を生み出す根源的なダークサイド(暗黒面の)フォース(精神エネルギー)となる(※2)。

「貪」とは、満たされない承認欲求にともなう空虚感、虚無感、寂寥感を飲食物、物、金、異性(セックス)、酒、ギャンブルといったものによって代替的に満たそうとすること。ただし、飲食物、物、金、異性(セックス)、酒、ギャンブル等(いわゆる俗なるもの)が悪いわけではない。それらは、この世において、また、肉体を有する人間にとって、必要で、便利で、楽しく、喜びで、快いものである。有難くいただき、感謝し、より有意義な活動に向かえばよい。しかし、承認されない空虚感、虚無感、寂寥感を埋め合わそうとして、そうしたものが頭と心から離れず、振り回され、執着し、依存し、耽溺し、欲望に拍車(ドライブ)が掛かると、命を生かし潤す水であったそららのものは海水に変じる。飲めば飲むほどに喉は渇き(聖書にも同様に記されている)、いくら飲んでもこころからの満足や喜びを感じることができなくなる。すると、それらは命を養う水から海水、海水から毒水に変じ、空虚感、虚無感、寂寥感は底無しとなる。こうした悪循環に陥ると、人は苦悩と絶望と破滅的な思いに飲み込まれ、自滅する。

「瞋」とは、承認欲求が満たされないことから生じる抑えきれない衝動的な激情をともなう怒りのこと。相手への基本的な尊重(リスペクト)や愛情がなく、自分の利益、プライド、評価、信条、地位といったものを維持または誇示するために、粗暴な言動によって相手を都合よくコントロール、操作、支配しようとすること。怒りの波動によって相手を身動きできないように縛り上げようとすること。教導の怒りである公憤(相手の自由な考えや判断や行動を尊重しつつ、相手のよりよい未来や幸せのために、無私と冷静な理性によってなされる統制された怒り。叱り。あえてする意図的な怒り。平静なあたたかい心のもとでなされる怒り)とは対局にある私憤。

「痴」とは、承認欲求が満たされない攻撃性から生ずる点においては瞋と同じだが、この攻撃性を自分に向けること。自分を無価値な存在として否定すること。自分を、悪人、罪人として、裁き、追い詰めること。生きることに強い罪悪感を抱き(「生きていてすいません」といった心境)、自己破滅的な思いを抱くこと(こうした自虐的心境は、外見上、反省的態度と似ているが、真の反省とは真逆のものである。真の反省とは、後ろ向きに後悔して自分の価値を否定することではなく、自分の価値や可能性を信じつつ、これまでの、また今現在の、こころと言動の過ちを素直に認め、修正し、前向きになることである。つまり、真なる反省とは、自己の価値や可能性を、信じ、確認し、よりよい生き方に向けて、自らを奮い立たせ、意欲的になることである。「こうなれば失敗することを学んだのだ。よかった。これからはこうしよう!」と勇気をもって実践を決意することである。過去を悔やむのではなく、未来を望む姿勢であり、明るさや爽やかさや軽やかさをともなう態度であり、周囲も好感をもって見ることができる姿である)。自分に対して、優しい見方をし、愛し、感謝し、敬意を抱くこと(第3部の7参照)ほど重要なことは無い(自分を、本当に、愛し、大切に思うからこそ、上記のような真の反省も必要となる)。宇宙の意思によって自らが存在することを許されている以上、自分にも自分なりの存在意義があるのに、自ら、自らの存在を、根本から、無価値で許されざるものと見なし、否定し、落ち込むことは馬鹿げたことである。人々の自分に対する見方は自分の自分に対する見方と連動するので、「痴」にある人は、周囲の人々から馬鹿にされ、嫌悪され、批判される。責め苦を自ら招き寄せる強力なブラックホールとなる。実に愚かなことであるから、「痴」である。

「慢」とは、強引に、安易に、承認欲求を満たそうとする者が、お前とは違ってオレは偉いんだというプライドを掲げて虚勢を張ったり、上から目線で人を見下したり、軽んじたり、あらを探したり、いちゃもんをつけたり、馬鹿にしたり、怒りにまかせて暴言や暴力に及んだり(ほとんどの場合、「瞋」=私憤をともなう。)、横柄な言動をとったりすること。(ブラックな会社の上司、虐待する親、DVに及ぶ者、いじめっ子、反社会的な組織の幹部、独裁者をイメージするとよく分かる)。
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