投書がボツになる理由(杉村 楚人冠)


まえがき

『記者にして随筆家・俳人でもあった杉村楚人冠(略)が、新聞に寄せられる読者の投書を論評しています。ダメな投書の実例を晒してダメ出しまでするという、かなりの上から目線記事なんです。(略)そして、投書がボツになる理由を三つあげてます。』

リスト

  • 投書の内容が新聞に載せて広く読者に知らしめるようなものではない
  • 文章がつたなすぎて何をいいたいのかわからない
  • 匿名

あとがき

まえがきを含めて、パオロ・マッツァリーノ『思考の憑きもの 論より実践のクリティカルシンキング』 (二見書房、2021年)より。リストは本文からの引用です。

引用元は、朝日新聞に1909(明治42)年6月20日から6日間掲載された「投書と投書家」という短期連載とのこと。投書家という言葉を初めて見た気がします。投書家を名乗る人がいたくらい新聞投書に人気があったのか、この連載のための造語なのか。文献情報と杉村 楚人冠の名前をメモしておきたく収集しました。

前二者は文章の内容を理由としていますが、3つめは投書者の属性を理由にしています。なぜ匿名の投書はボツなのか。引用元にあたれなかったのでマッツァリーノ氏の要約を引用します。

新聞社側から例をいいたいくらいに立派な内容の投書でも、何を恐れてか名を書かない。いわんや人の悪口陰口などに到っては名のないのが当然である、と楚人冠の怒りはおさまりません。

朝日新聞や読売新聞のような全国紙が創刊されたのは明治時代のはじめ。匿名投書はマス媒体の登場当初から読み手の心をざわつかせていたことがうかがえます。