まえがき
『私は、意識の機能があることはエピソード記憶ができることの必要十分条件であるととらえる立場に立つ。』
リスト
- 「無意識」というシステムは、「意識」によるトップダウン的な決定に従って仕事をする追従的なシステムではない。むしろ、部分部分のモジュールが独立してそれぞれの得意な情報処理を同時におこなう超並列計算機である。四方八方のモジュールから湧き上がってきたさまざまな自律分散的情報処理結果のうち、特に目立つもの(たとえば発火頻度が高い神経集団が生成した情報)が民主的に選び出されまとめられて「意識」に転送される。
- 一方、「意識」という機能は、脳の重要事項の決定を一手に担うリーダーではない。むしろ、無意識的情報処理の結果を受け取って、あたかも自分が注意を向けて自分の自由意志でおこなったことであるかのように幻想体験し、その体験結果をエピソード記憶に転送するだけの、受動的・追従的な機能を担うシステムである。また、意識体験は、小びとたちの並列的な体験よりも単純で直列的である。
- つまり、心は民主主義社会のようなボトムアップなシステムである。
- そして、意識の現象的な側面は、幻想のようなものなのである。
あとがき
まえがきを含めて、前野 隆『脳の中の「私」はなぜ見つからないのか? ~ロボティクス研究者が見た脳と心の思想史』より。受動意識仮説そのものは『脳はなぜ「心」を作ったのか』のほうが詳しく書いてありましたが、本書でリスト化されているのを見かけたので収集。
最初はとてもびっくりしましたが、けっこう納得のいくメカニズムですし、著者が本書で論じているように、実は新しい仮説ではないと言えるかもしれません。意識が生じるメカニズムよりも、エピソード記憶を担わせるためという、意識の意味についての仮説に独創性があるように思います。
- タイトル: 脳の中の「私」はなぜ見つからないのか? ~ロボティクス研究者が見た脳と心の思想史
- 著者: 前野 隆司(著)
- 出版社: 技術評論社
- 出版日: 2007-08-01