真理を「自ら確かめる」ための10か条


まえがき

『思考、概念、論、意見、見解などの主張には、その反対意見も自動的に成り立つのです。どんな意見にも反論が現れるので、人々が教えに納得するのは難しいのです。ブッダはその事実を認めた上で、我々がマインドコントロールの罠をさけて、真理を「自ら確かめる」ためのポイントを、十箇条挙げました。』

リスト

  1. 口伝だからと信じるなかれ … 口伝された「神の言葉」だからといって、真理を判断する基準にはならない。
  2. 伝承だからと信じるなかれ … 師匠から弟子へ、親から子へと伝えられてきた教えだからといって、真理を判断する基準にはならない。
  3. 伝聞だからと信じるなかれ … 「皆が言っている」「よく言われている」からといって、真理を判断する基準にはならない。
  4. 聖典だからと信じるなかれ … 本に書かれているからといって、真理を判断する基準にはならない。
  5. 論理的だからと信じるなかれ … 演繹的に導かれたからといって、真理を判断する基準にはならない(言葉に依存している限り、言葉の定義によって結論は変えられる)。
  6. 推測に合っているからと信じるなかれ … 帰納的に導かれたからといって、真理を判断する基準にはならない(個別のデータから普遍的法則を導く認識作用は不確かである)。
  7. 言葉が巧みだからと信じるなかれ … 表現方法や話術が巧みだからといって、真理を判断する基準にはならない。
  8. 結論が自説と同じだからと信じるなかれ … 自分の価値観や思考と同じだからといって、真理を判断する基準にはならない。
  9. あり得る話だからと信じるなかれ … そうである可能性があるからといって、真理を判断する基準にはならない。
  10. 聖者だからと信じるなかれ … 尊敬できる人の言葉だからといって、真理を判断する基準にはならない。

あとがき

まえがきを含めて『テーラワーダ仏教「自ら確かめる」ブッダの教え』より。「…」より左側は見出しの正確な引用ですが、右側の解説部分は本文の要約であり、一部引用者の意訳が含まれています。日本テーラワーダ仏教協会のWebサイトにもこの10か条は載っています(「すべては自ら確かめよ」)。しかし書籍では一般的な文脈で使えるように意訳されているので、分かりやすいですね。

5.のところは解説も短めなのですが、演繹法の「前提」に当たる部分を言葉で定義し尽くすことができないため、結論を操作できる余地がある。したがって真理を判断する基準にはならないという意味だと理解しました。

これらに全部留意しつつ「自ら確かめる」。大事にしたい心得だ。

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